ブログタイトルのはなし


高校のときのブログタイトルをそのまま流用した。

今さらゼロから考えるのも面倒であるし、なにより無い頭から絞り出したとして、どうせまたも痛いタイトルになるのは目に見えている。
ならばいっそ「高校の時のだし?」という言い訳に頼ってしまおうという魂胆である。


もしもぼくが高校生ならシャケラセラとかにしてたと思う。


やや強引な話題の繋ぎであるが、ケセラセラ座右の銘だ。

要するに「なるようになる」である。
このスペイン語と日本語どちらで読んでも口馴染みの良い感じが、良い。根がラッパーなのである。

 

ともかく、何事もなるようになると思っているので、どんな時も、ことも、楽しんでいる自負がある。

そんなぼくの走馬灯はさぞ長かろうし、今から楽しみなのである。

 

 


そう豪語するぼくも先日の地震には肝が冷えた。ちなみに走馬灯は見えなかった。


あの日7時50分に出社したぼくはひとまず一服薫らせ、

さて今まさにタイムカードを切ろうとしたその時、オフィスが文字通り轟いた。

近頃オフィスが改装工事中ゆえ、初めは

「今日の工事激しいな」と思った。

さすがに違和感を感じたので、「工事で事故でも起きたのか!?」と

頑なに改装工事のせいにしようとして、さすがに気づいた。

 

気づけばタイムカードを片手に机の下に滑り込んでいた。初等教育は偉大だと思った。

 

そうこうしている内に、携帯の緊急地震速報が鳴った。「知ってます!」と思った。

 

 

揺れが収まり、我が身の無事を知り
その次に取った行動が、人の安否を確認するでもTwitterを開くでもなく

タイムカードを切る

だったのは救えない。とんだ社畜親不孝である。

 

結局その日はほとんどの社員が自宅待機を命じられ、オフィスは散乱した書類の方で賑やかだった。

 

あとで知ったことだが、その日は出社の可否に関わらず、全員が出勤扱いとして給料計算されるそうだ。
命の次に大事だったタイムカードの話が余計に空しい。

 

しかし、ならば休めば得だったかと言うとそうでもない。

細かい仕事の事情はさておき、
あのときしっかりと出勤したからこそ、今この時間にこうやってくだらない文章をこねこね出来ているのだから、やはり、なるようになるのである。

 

生きていれば、なるようになる。皆様もくれぐれも余震には気をつけつつ、悲観的にはなりすぎぬよう。


いかにも強引にケセラセラへと話を戻したが、

元はと言えばこのブログのタイトル「SHAKIN'CHAOS」がこの混沌たる論理展開とタチの悪い乱筆拙文に由来するのだからご容赦願いたい。
もちろん今考えた大嘘である

 

以上